豊臣秀頼・淀殿の五輪塔 開眼法会のご報告

総本山金剛峯寺と清浄心院の共催で、5月20日に開眼法会が執り行われました

 この度、清浄心院が管理する奥之院の豊臣秀頼・淀殿の2基の五輪塔が、国と総本山金剛峯寺によって元の姿に修繕されました。
 現在、総本山金剛峯寺が取り組む高野山全体を一円文化財として維持する活動の、奥之院参道墓石の整備事業第1弾で、今後も毎年1カ所程度を修繕する計画だそうです。この五輪塔の修繕を無事に終え、開眼法会が執り行われました。
 令和6年5月20日午前10時。当日は朝まで降っていた雨が奇跡的に上がり、総本山金剛峯寺の役員の方々や池口恵観住職はじめ、清浄心院役僧らが読経。清浄心院の職員や一般の方々も参列し、盛大に開眼法会が執り行われました。
 場所は五輪塔を臨む奥之院参道にて。池口恵観住職が導師を務め、一般の方々もご焼香をあげて参拝されるなど、厳かに法会は進行しました。観光に訪れた外国人の方々が興味深く見守る姿も印象的で、古から続く高野山の伝統を感じられていたようでした。その後、豊臣秀頼・淀殿の五輪塔前でも読経。法会は無事厳修されました。

五輪塔の修繕について

 約1200年前、高野山を開創した弘法大師・空海がご入定された奥之院・御廟。樹齢千年を超える杉もある杉木立の参道には、20万、30万基ともいわれる墓石群、供養塔が並びます。
 浄土宗の開祖・法然や浄土真宗の開祖・親鸞など大宗教家の墓。織田信長や明智光秀、武田信玄や上杉謙信などの武将の墓など。宗派を超え、敵味方を超えて大師のそばに眠るという寛大さが高野山の魅力であり、大師が宗派に関係なく愛される理由なのです。
 そして、上杉謙信霊屋の近くに、豊臣秀頼とその母・淀殿の2基の五輪塔(石塔)もあります。じつはこの五輪塔が二人のものと分かったのは最近のこと。
 発見した清浄心院 高野山文化歴史研究所・木下浩良所長によれば、この2つの五輪塔には銘文があり、それぞれ秀頼と淀殿の法名と年月日が刻まれていました。この年月日が大坂城の落城の日である慶長20年(1615)5月6日と分かり、大阪夏の陣で敗れて自害した豊臣秀頼と淀殿をそれぞれ供養するために建立された石塔だと判明したのです。
 ところが、長い年月でこの五輪塔2基は風雨にさらされ、一部が朽ちかけていたそうです。五輪塔(石塔)は台座の上に「地輪」「水輪」「火輪」「風輪」「空輪」とそれぞれ異なる形の石が積み上げられていますが、秀頼の五輪塔は地輪と水輪しか立っておらず、淀殿の五輪塔は火輪部分の半分が欠落し、崩壊の危険がありました。
 そこで、総本山金剛峯寺が現在取り組む奥之院参道墓石の整備事業第1弾として、国の補助金も得て令和4年(2022)から修繕に着手。京都の石材会社の協力を得て、令和6年に無事修繕が完了しました。