伊都・高野山ユネスコ協会主催『戦後80年平和の鐘を撞く会』ご報告
8月18日は終戦の直後、昭和20年に旧ソ連が日本固有の領土、千島列島の「占守島」に侵攻した日であり、日本軍守備隊が旧ソ連が北海道を占領する計画を、独断で阻止をしました。そして、このソ連侵攻の代償に約60万人がシベリア抑留(強制労働で6万人近くが亡くなる)となりました。
戦後80年。この8月18日を迎え、清浄心院では伊都・高野山ユネスコ協会主催『戦後80年平和の鐘を撞く会』で戦没者の慰霊を供養し、当院の池口恵觀住職による『戦後80年 戦没者慰霊特別護摩行』を執行しました。



当日は当院・上段の間にて開会の辞、御法楽の後、池口恵觀住職による式辞が行われました。戦後50年目の時、ハワイに梵鐘を寄進し、その除幕式がハワイで行われた際、伊都・高野山ユネスコ協会の副会長、中川明氏と出会い、それを不思議なご縁と感じていること。今回を契機に「平和の鐘を撞く会」を当院の年中行事にすることなどをお話されました。
その後、高野町議会議員の方々による来賓の挨拶があった後、今川泰伸高野山真言宗宗務総長、世耕弘成衆議院議員、平野嘉也高野町長からの祝電が披露され、その後は鐘楼堂へ。
池口恵観住職が「平和の鐘」を3回点打し、参加者全員で黙祷を捧げました。木下浩良伊都・高野山ユネスコ協会会長(兼 清浄心院高野山文化歴史研究所長)により挨拶があり、『戦後80年平和の鐘を撞く会』は閉幕。また参加者による撞鐘も執り行われました。
そして、午後は清浄心院 鳳凰奏殿にて池口恵觀住職による『戦後80年 戦没者慰霊特別護摩行』が執行されました。



特別護摩行や当日の模様は、読売新聞に取材していただきました。ぜひ、こちらもご覧ください。
