秋の寺宝展 会期 令和5年9月1日~11月30日迄
清浄心院では当院の文化財の調査・研究の中で発見された宝物を順次公開しています。秋の寺宝展では今話題の大河ドラマ『どうする家康』の放送に合わせ、徳川家康と清浄心院の関係を表す二通の書状を紹介いたします。当時、徳川家康の戦勝祈願を行うなど親密な関係があったことがわかり、戦国時代から江戸時代にかけての高野山の状況が推測できる貴重な史料です。ぜひ、この会期中にご覧ください。宿泊の方は無料です。
徳川家康書状
【会期】令和5年9月1日~11月30日迄
【時間】①11時~ ②12時30分~ ③16時~
【拝観料】護摩木1本(1,000円)※宿泊の方は無料
【予約】 寺宝展をご覧になりたい方、寺院見学をご希望の方はこちらから事前予約をお申し込みください。
【拝観方法】ご予約のお時間までに清浄心院受付に集合ください。お時間になりましたらスタッフが、客殿・霊牌堂(阿弥陀如来像/運慶作・重要文化財)・大台所・囲炉裏の間(寺宝展会場)を順番にご案内いたします。
「小牧・長久手の戦」の最中の天正12年(1584)7月1日に清浄心院へ発給された徳川家康の書状。この戦の緒戦に勝利した家康の気持ちが書かれており、本状により清浄心院の住職と家康は親交があったことがうかがえます。
この書状の内容より清浄心院では豊臣秀吉との戦における家康への戦勝祈願が行われていたことが考えられます。秀吉と家康の勢力を比べると、圧倒的に秀吉軍が多勢で優位にいました。その中で、清浄心院が家康方にいたことは注目されます。
また、織田信長は本能寺の変以前に軍勢を出して高野山を攻めました。高野山に隣接する大和国の豪族たちは信長の重臣の筒井順慶により滅ぼされますが、清浄心院がその一族をかくまっており、その豪族の再起が叶うように家康に対して働きかけていることも明記されていました。弱肉強食の戦国の世にあって、利害関係を度外視した清浄心院の動向は特筆されます。【安土桃山時代】
天正12年(1584)12月9日、徳川家康が清浄心院へ発給した書状です。清浄心院より家康へ祈祷をした報告と、それに添えられた御守りなどに対する御礼を記しています。また、長期にわたる小牧・長久手の戦が終わり家康の思惑通りに事が進んだことに、清浄心院の家康への戦勝祈願に対する感謝の気持ちを伺わせる内容となっています。これらの書状より清浄心院は家康の武将としての精神面を支え、家康への戦勝祈願が何度も行われていたことが考えられます。【安土桃山時代】
木下所長の視点
現在放映中のNHKの大河ドラマ『どうする家康』が大事なシーンを迎えています。史実に忠実ではないという声も多い同ドラマですが、私は純粋に歴史ドラマとして楽しんでいます。
さて、「小牧・長久手の戦」の最中に、清浄心院へ発給された徳川家康(俳優:松本潤)の書状です。ドラマでは織田信長(岡田准一)が「本能寺の変」で襲撃された後、勢力を増す豊臣秀吉(ムロツヨシ)と対立していきますが、時代を左右する激動の時代に、清浄心院では家康方についていたことがわかります。当時優勢だった豊臣秀吉よりも、この後、260年近く続く江戸時代を築いた徳川家康についたことは大きな意味があり、戦国時代から江戸時代にかけて高野山の情勢を考える上でとても興味深い史料です。