清浄心院・池口恵観住職 2023年スペシャルインタビュー

池口恵観住職

清浄心院の住職であり、百万枚護摩行を達成した炎の行者としても有名な池口恵観住職。今回はそんな住職の知る人ぞ知る活動や思いについて、直撃インタビューを実施いたしました。

 清浄心院では毎月一定の期間に、池口恵観住職自らが修法する「特別護摩行」というのがあります。それに合わせて全国から多くの人々が参列されるのですが、護摩行の後に「お尋ね」という住職に相談できる時間が設けられています。毎回申し込み者が何十人以上いても、住職は一人ひとりのお話を丁寧に聞き、加持祈祷をするのだとか。過酷な護摩行直後のその体力、精神力には驚かざるを得ません。
 今回のインタビューはなんとその後、すべての相談が終わり、辺りがもう真っ暗になった頃に始まりました。確か護摩行を開始したのはお昼すぎだったはず。しかし、住職は疲れた顔ひとつせず、和かに取材を受けてくださいました。
 池口住職とお会いした方なら実感されると思いますが、満面の笑みで優しく語りかけてくるその表情に、一瞬にして悩みが解決してしまうような感覚を覚えます。そんな不思議な魅力があるのが池口住職です。

取材・文/藤田ベリー

子どもの頃から人々の相談を聞く

——護摩行を始められたのはいつからですか?

小さな時から護摩をやってますから。小学校の頃は護摩壇の横に座って『ノウマク サンマンダ ~(不動明王の真言)』と、唱えてました(笑)。

——子どもの時から?

はい。実家は信者寺だったので、毎日たくさんの人が相談に訪れました。私は父母の横で皆さんのご相談をずっと聞いていました。当時は戦時中で徴兵された多くの方々の願いを聞いていましたから、私もその横で、戦地で何ごともなく無事で帰ってこられるようにと必死にお祈りをしていました。防空壕の中では、お不動さんやお大師さんにみんなの無事を願い、真言を唱えたものです。

——子どもの頃から人のためにお祈りをされた。

小さい頃から自分のことはあまり考えてなかったんじゃないでしょうか。みんなが自然と必要にしてくれた。相談してお加持をするとみんな喜んで帰られる。身体をさすったりお祈りをすると軽くなったと喜んでくれるんです。そういうことばかり教えられて育って拝んできたでしょ。私はそれしかないんです(笑)。みんなの幸せのことしか教えられていないから。

少年時代の池口恵観住職

仏教用語で「発心」という言葉があります。本来仏道を志す人は、人生のある時期に決心し、仏門に入ろうとしたり、悟りを得ようとする時期があると言います。しかし、池口住職は小さな頃から両親に導かれ、信者の悩みを隣で真剣に聞くという環境で育ちました。「発心」という過程をとばして、子どもの頃から当たり前のように現場で活動していたのです。

生きている時から死ぬまでをお祈りする

——百万枚護摩行に挑戦されようと思ったきっかけは?

八千枚護摩供のことは子供の頃から意識していました。そして、その上の一万枚、十万枚…。そして百万枚という誰もできなかった護摩行があると父から聞いたので、大きくなったらそれをやろうとずっと思っていました。大人になると八千枚護摩供をしたんですが、最初の頃はただ苦しかったのを憶えています。それから102回の八千枚護摩供を達成して、一万枚、十万枚と。そしてうちの先祖が誰もなし得なかった百万枚をやってやるかと挑戦することにしたんです。

——無事、行を成し遂げた時に感じたことはありますか?

もうこれでいいかなと(笑)。あとはみんなの幸せのために身体を使おうと。病気の方の身体のためにお祈りをしたり、みんなそれぞれの願いをお聞きし、護摩を焚いてしっかりとお祈りをする。とにかくみんなが幸せになれるように、悩みが解消するために、ちょっとでもお役に立てればいいなと。それで今も頑張っています。

池口恵観住職
池口恵観住職

池口住職が長年活動を続けていることに戦没者の供養があります。世界中いろいろな場所を巡っては供養をされたそうで、特にフィリピンでは20年くらい供養を続けているのだといいます。

——戦没者の供養を続けているのはなぜですか?

 私たちの“根っこ”となる部分は、国のために戦ってきた人たちだと思います。“根”がしっかりとしたところに木は大きくなって花を咲かせ、実をつけるわけですから。先祖供養とか戦没者の供養をきちっとやらないと、日本の幸せはないと私は考えています。
 フィリピンのマバラカットは第一号の神風特攻隊が出撃した場所なんです。驚くことに、その場所は戦争が終わってからも、現地の方々が拝んでくださっていたことがわかりました。それで観音さんを祀り、毎年供養をさせていただくようになりました。フィリピンではたくさん亡くなっていますから。

——お寺にはたくさんの位牌が祀られていますが、お名前が赤字の人はどんな方ですか?

永山帰堂にある位牌で、お名前が赤字の方はまだ生きている人なんです。生きている人は祈願をして、亡くなっている方は供養する。生きている時から死ぬまでをずっとお祈りしています。先祖供養も大事ですが、生きている人の身体や精神も大事。そういうのは一生懸命やらせていただいています。

みんな大日如来の子ども

取材の前、お昼からの「特別護摩行」に参列させていただきました。激しい太鼓の音とともに、住職の護摩行のかける凄まじい気迫に圧倒されます。ところが、座が終わるとあっという間に住職は柔和な表情になり、多くの方々に囲まれ、一人ひとりに気を配られてお話しをされていました。話が終わると人々は自然に手を合わせ、感謝を述べていたのが印象的でした。そして、住職は個別の相談に向かわれました。

——過酷な行の後でも、これだけ多くの人々の相談を熱心にされる理由はなんでしょうか?

どんな人も一緒で、等しく接しているからだと思います。身分とか肩書きとか、そういうことは私は考えないんですよ。みんな大日如来の、仏さんの、お大師さんの子どもだと思っていますから。だから、一人ひとりの方と一生懸命に接するようにしています。

——みんな仏さまだと思っているんですね。

 だからか、どこにいってもみんな大事にしてくれるんです。私、差別や区別とかが無いから。以前、エルサレムの嘆きの壁に行った時、壁に手を置いてお祈りをしました。すると、現地の方が「他の宗派の宗教者ではあなたが二人目です」と言われたんです。一人目はローマ法王だったそうです(笑)。
 他の宗教も大事にしているので、どの宗教者も大事にしてくれるんでしょうね。宗教に垣根はありません。みんな神様の名前が違うだけで、みんな同じ仏さん。私は「大日如来」と呼んでいるけど、みんなは違う名前で呼んでいるだけだから。本当は一緒じゃないかと。私はアフリカでもヨーロッパでも北朝鮮でも、どの人も同じように接しています。そして、みんなが幸せになるように、国が栄えるように、一生懸命お祈りしています。

池口恵観住職
取材後にも清浄心院・松村寺務長との打ち合わせが続いた。

 エルサレムの嘆きの壁には、祈りの言葉や願い事を書いた紙がたくさん入れられていますが、池口住職は他宗にも関わらず、壁に平和のメッセージを入れることを許可されたといいます。さらに、ブリュッセルで行われた国際平和会議ではイスラム教の人たちが「日本の池口を議長にしろ」と言い、議長を務めたこともあったそうです。池口住職にとっての「世界」は、宗教戦争やイデオロギーで争う場所ではなく、みんな一緒に助け合う場所なのです。
 真言宗では大日如来は宇宙そのものであり、私たちはその一部であることを説いています。すべての人々が大日如来の一部であり、仏である。真言宗を少し勉強した人なら、そう頭では分かっていても、それを実行し続けることはどれだけ難しいかを知っているはずです。しかし、目の前にいらっしゃる池口住職はまさにそれを「実践」する人生を歩まれてきた‥‥。
 インタビュー中、住職が何度も「みんなのために」という言葉を使われていました。「菩薩の用心は、みな慈悲をもって本とし、利他をもって先とす」という弘法大師・空海の言葉がありますが、自分のことは後回しして「利他」を実践するその姿は菩薩そのものなのかもしれません。

池口恵観住職
高野山別格本山清浄心院住職。高野山真言宗宿老・大僧正。傳燈大阿闍梨。
昭和11年11月15日、鹿児島県生まれ。高野山大学文学部密教学科卒業後、昭和48年烏帽子山最福寺法主に就任。昭和63年高野山真言宗傳燈大阿闍梨、平成18年高野山真言宗大僧正。また、北海道大学、山口大学、岡山大学、京都府立医科大学、兵庫医科大学、高野山大学などで客員教授など、広島大学、金沢大学などで非常勤講師を務め、医学博士でもある。平成元年に仏教史上初の百万枚護摩行を成満する。

藤田ベリー
編集者・文筆家。高野山ガイドブックをはじめ、15年ほど前から雑誌・書籍等で高野山取材を重ねる。この1年間、清浄心院の各行事を取材中。オーガニック食品や農業などの分野にも精通。