木下浩良氏とめぐる高野山歴史探訪 第1弾

鎌倉時代の旧跡と金剛峯寺&壇上伽藍めぐりツアー(10月開催)ご報告

木下浩良氏とめぐる高野山歴史探訪

2022年10月29日〜30日、清浄心院・高野山文化歴史研究所主導で、所長・木下浩良先生とともにめぐるツアーが開催されました。今回のツアーは鎌倉時代の高野山、そして金剛峯寺&壇上伽藍に込められた空海の思いがテーマです。
協力/南海国際旅行

【1日目】

15:30 高野山駅 路線バスで西室院へ
(西室院でお茶をいただいた後、金輪公園の一心院跡と寂静院周辺を散策)
17:00 宿坊・普賢院に到着
18:00 夕食(精進料理)
22:00 就寝

【2日目】

6:30­ 朝の勤行
7:30 朝食(精進料理)
9:00 宿坊から徒歩で移動。金剛峯寺に到着
9:55 高野山デジタルミュージアムにてVRコンテンツを鑑賞
11:15
 角濱ごまとうふ総本舗にて昼食
12:10 壇上伽藍に到着
13:20 霊宝館にて主に鎌倉時代の展示物について解説
14:45  路線バスで高野山駅へ

鎌倉時代の高野山と空海の思い

 鎌倉時代、真言密教の霊場高野山は現在と異なる様相をしていました。当時の様相に思いを馳せるべく、まず訪れたのは西室院です。
 寛政8年(1796年)の『高野山古絵図』によると、かつて西室院(当時は金光院と呼ばれた)周辺は一心院谷と呼ばれていました。西室院の境内には高野山の中でも最古の石塔である源氏三代(頼朝・頼家・実朝)を祀った三基の※五輪の塔が安置されています。花崗岩で造られた石塔は月日とともに風化し、その銘を留めていませんが、この塔を建てたのは源頼朝の三男貞暁(じょうぎょう)であったと言われています。
 貞暁は頼朝と側室との間に生まれた実子。貞暁にはこんな逸話があります。頼朝の正室である北条政子は、1218年熊野詣の際に高野山麓の天野を訪れ、貞暁と会見しました。政子が貞暁に「将軍職に就くつもりはないか」と尋ねたところ、貞暁は頼朝から授かった短刀を取り出し「武士になるつもりはない」と答えて自らの左目を抉り、その本意を示しました。
「こうして貞暁は僧侶として天寿を全うします。高野山にはたくさん塔頭寺院が建っていますが、この一心院谷からどんどん塔頭が建っていった場所ではないかと想像します」と木下先生。
 開山以来、天皇をはじめ貴族や武士など、あらゆる人の心の拠り所であった高野山。鎌倉時代、一心院谷はまさにその中心的な場所でした。長い歴史が今につながる妙を感じながら、徒歩で宿坊・普賢院へ向かいました。

木下浩良氏とめぐる高野山歴史探訪
西室院。高野山駅から南海りんかんバス「一心口」で下車してすぐ。
木下浩良氏とめぐる高野山歴史探訪
貞暁が相伝した五坊寂聴院から位置的に近いことから「貞暁が父と兄弟の供養のために建てたと考えられます。また五輪塔の地輪(基礎の上部)の対比が鎌倉初期特徴を表しています」と木下先生は仰います。
※五輪の塔の拝観は拝観料300円、特別朱印は500円が必要です。
木下浩良氏とめぐる高野山歴史探訪
なまこ壁に囲まれた宿坊・普賢院。
木下浩良氏とめぐる高野山歴史探訪
滋味深い味わいの精進料理をいただいた後は、写経に挑戦。塗香で身を清めてから筆をとり、あらかじめ書かれた般若心経をなぞります。

2日目は総本山金剛峯寺からスタート

 標高約800〜900メートルにある高野山の朝は凛とした厳かな空気に満ちています。宿坊では少し早起きして朝6時半からの勤行に参加しました。朝起きてすぐ、お香と読経に包まれることは、まさに非日常の体験です。その後、精進料理をいただいていよいよ宿坊を出発。ツアーの2日目は総本山金剛峯寺からスタートです。
 高野山は「一山境内地」といって、本来は山全体を金剛峯寺と呼んでいました。明治元年(1868)9月、高野山で鼎立していた学侶(がくりょ)・行人(ぎょうにん)・聖(ひじり)の三派は解消されて、翌2年(1869)11月には学侶方の本山であった青巌寺(せいがんじ)は金剛峯寺となり、行人方の本山の興山寺(こうざんじ)は金剛峯寺総宰庁(宗務所)となりました。
 大きな門をくぐり、いざ建物の中へ。まず目に入ってくるのは大広間の群鶴と松の襖絵が施された襖絵。斎藤等室による作品です。また天皇や上皇が登山された際に使用される上段の間の壁は、壁一面に金箔がはりめぐらされており豪華絢爛。「金は極楽浄土を意味しています」と木下先生が仰います。
 続く別殿の襖絵には空海が遣唐使として入唐する様子が描かれていました。
「空海さんは遣唐使として804年に入唐しました。その際、4隻の遣唐使船のうち2隻は遭難しています。この時、もう1隻に乗っていたのが天台宗の開祖最澄です。空海さんは2年ほどで帰国しましたが、遣唐使船が少ない時代なので、2年で帰ってこられたのは非常にラッキーだったと思います」と木下先生は仰います。
 金剛峯寺の見学を終えて、次に向かったのは2022年8月にできたばかりの新名所「高野山デジタルミュージアム」。弘法大師空海が唐から持ち帰った真言密教。その御本尊である大日如来が創造する世界観を空海は壇上伽藍でどのように表現したのか。実は空海は曼荼羅という絵の世界を根本大塔と西塔で立体的に表しました。このVR(バーチャルリアリティ)シアターでは、その様子を分かりやすく表現したVRコンテンツを観賞することができます。
 VR映像を鑑賞した後、角濱ごまとうふ総本舗にて一足早く昼食をいただきました。昼食の後は、いよいよ壇上伽藍に向かいます。

木下浩良氏とめぐる高野山歴史探訪
建物の中では狩野派の絵師らによる豪華絢爛な襖絵のほか、令和2年から公開されている日本画家千住博氏による『瀧図』と『断崖図』の襖絵を見ることができます。
木下浩良氏とめぐる高野山歴史探訪
高野山デジタルミュージアムはカフェスペースも併設している。
木下浩良氏とめぐる高野山歴史探訪
胡麻豆腐の懐石料理をいただく。9皿が並ぶ様子はまるで曼荼羅のよう。

曼荼羅に込めた願いとは

 まず訪れたのは金堂。もともと金堂は修行僧のための学びの場として機能していましたが、しばしば火災に遭い、現在の建物は昭和7年(1932年)に再建されたものです。続いて根本大塔に向かいました。先ほどVRで「根本大塔と西塔が曼荼羅という絵の世界を立体的に表したもの」と学びましたが、その世界観をいよいよ実際の建物で体感してみます。
 そもそも曼荼羅には、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅という2つの曼荼羅があります。胎蔵界曼荼羅の中心には真言宗で最も尊い大日如来が描かれ、大日如来の慈悲がこの世界の隅々を優しく照らす様子が描かれています。一方金剛曼荼羅は大日如来の悟りの知恵の世界を表現しています。この2つは対になっており、2つの曼荼羅を合わせて両界曼荼羅とも称します。「大日如来は仏様の中の仏様です。真言宗にはいろんな仏様がいらっしゃいますが、どの仏様も大日如来が姿を変えて現れたものであり、どの仏様も等しく尊いとされています。空海さんは私たち一人ひとりの中にも大日如来がいらっしゃるよと仰っています」と木下先生は仰います。
 いよいよ根本大塔の中に入りました。中心には見上げるほど大きな胎蔵大日如来が、そしてその周囲を取り囲むように阿閦如来、宝生如来、観自在王如来、不空成就如来の金剛界の四仏が安置されています。さらに仏像群の周囲は堂本印象による繊細な運筆の16本の柱絵や壁画が施され、その壮麗さは圧巻です。「胎蔵界は優しい世界。金剛界は厳しい世界。優しさの中にも厳しさがあり、厳しさの中に優しさがある。ここはまさに胎蔵界と金剛界が一体となった空間になっています」と木下先生。
 空海は、弘仁10年(819年)に根本大塔の建立に着手するものの、その完成を見ずに承和2年(835年)に入定されました。木下先生はこう仰います。「これだけ大きな仏像や塔を建てるには、かなりの財力が必要でした。時の天皇や貴族からの寄付はもちろん、おそらく一般の人々からも寄付があったのではと考えられます。空海さんは真言密教の教えを伝え・広めることに尽力されたことからも、一般の方にも『お寺を建てるからお詣りしてね』というメッセージを込めておられたのではないかと、私は考えます」。
「また空海さんは讃岐出身です。高野山にやって来た際に、この地にもともと祀られていた丹生明神も大切にしていました。今でも壇上伽藍の境内の中でも、一段高くなった尊い場所に御社があるんです」と木下先生は仰いました。

木下浩良氏とめぐる高野山歴史探訪
青空に向かってそびえ立つ高さ約40mの根本大塔。
木下浩良氏とめぐる高野山歴史探訪
空海は真言密教の教えを広めるためにふさわしい道場を探すのに、唐から三鈷杵(さんこしょ)という法具を投げました。その三鈷杵がかかっていたと伝わる三鈷の松の下でしばし佇みました。松葉が3本ある白松という珍しい品種です。
木下浩良氏とめぐる高野山歴史探訪
壇上伽藍の中で、一段高くなった場所で丹生明神が祀られていることからも、空海は土着の信仰を大切にしたことが窺える。

空海の教えは普遍的

 根本大塔を後にした私たちは、最後に霊宝館に向かいました。霊宝館は1921年(大正10年)に高野山の117ヶ寺が有する文化財を保護する目的で建設されました。実に「国指定有形文化財の7パーセントが高野山にある」と木下先生は仰います。幾度の火災や困難の中、先人によって護り伝えられてきた絵画や仏像という有形の宝は、高野山が開山以来約1200年にわたって、世の幸せと平安を連綿と祈ってきたことの証。
 館内では平安初期の不動明王坐像や、孔雀明王像(快慶作)をはじめ貴重な宝物が多数展示されていました。また『仏を護る入れ物』と題し、経典や仏像を保存する「入れ物」にフォーカスした企画展も開催されていました。
 木下先生はツアーの最中に大変興味深いエピソードを教えてくださいました。空海が師である恵果(けいか)から密教を授かった長安の青龍寺の隣にはキリスト教の教会が建っていたそうです。真言宗の教えには「怨親平等」という言葉があります。敵も味方も等しく扱うという意味ですが、これはキリスト教の教えである「汝の敵を愛せよ」と通じる精神を感じます。「当時の長安は世界都市で大変繁栄していました。大陸からさまざまな宗教や文化が入り混じっていました。おそらく空海さんほどの人ですからキリスト教の教えも学ばれたのでしょう。真言宗という密教の形をとりながら、普遍的な教えを説いているのだと私は確信しています」と木下先生は仰いました。こうした普遍的な教えがあるからこそ、開山以来多くの人々が祈りを捧げるためにこの地を訪れたいと願うのではないでしょうか。

木下浩良氏とめぐる高野山歴史探訪
最後の目的地霊宝館へと向かう。

木下浩良
清浄心院・高野山文化歴史研究所 所長
元高野山大学総合学術機構 課長
NHK番組ブラタモリで高野山の案内役を務め、高野山の歴史にまつわる著書を多数出版。近著『未来をひらく!空海さんの教え』(エフジー武蔵)。


「平家物語にも書かれていますが、高野山の宿坊に一泊することで私たちも金剛界曼荼羅の一員になれると考えられています。ぜひ高野山では宿坊に泊まっていただき、精進料理という清らかな食事をいただいて清浄な身体となり、心身ともにリフレッシュしてまた日常に戻っていただきたいと思います」

木下浩良氏とめぐる高野山歴史探訪

文・写真/ヘメンディンガー・綾